奪う快楽と、溶ける快楽

新しい美術品に出会う瞬間には、ある種の闘いがある。
相手は他の商人かもしれないし、時間そのものかもしれない。
この手で掴み取るという意志の緊張。
その一点を勝ち取るために研ぎ澄まされた感覚。
それはまるで、静かに刀を抜くような心持ちだ。
掌の中に収まった瞬間、世界がひときわ明瞭になる。
勝ち取るとは、自分の存在を確かめる行為でもある。

一方、早朝の撮影に出かけるとき、そこにはまるで逆の質感がある。
勝ち取るものはない。
ただ、光が地面をなぞり、風が頬を撫でる。
シャッターを押すことすら、自然の一呼吸の延長に感じる。
恥ずかしさや照れといった“人間の殻”が少しずつ剥がれ落ち、
気づけば、自分という輪郭が薄れていく。
景色の中に溶けていく——それが、今の快楽だ。

勝ち取る快楽と、溶ける快楽。
方向は正反対でも、どちらも同じ根から生まれている気がする。
それは“生きている”という震え。
一点に集中した時も、全体に融けた時も、
同じ生命の振動が身体を貫く。

美術と自然。掌と風。
この二つの間で揺れながら、私は今日もどこかへ向かっている。
奪い取るようにして手に入れたものが、
やがて手放すようにして世界へ還っていく。
その往復の中に、静かな歓びがある。

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