穀潰しの美学
芸術とは、余裕の中でしか生まれない。食うために働く時間ではなく、感じるために費やす時間。その“無駄”の中にしか、人間の輪郭は見えてこない。 だから、芸術は穀潰しだ。社会の効率とは逆を行き、生産性という神話からはみ出した場 […]
芸術とは、余裕の中でしか生まれない。食うために働く時間ではなく、感じるために費やす時間。その“無駄”の中にしか、人間の輪郭は見えてこない。 だから、芸術は穀潰しだ。社会の効率とは逆を行き、生産性という神話からはみ出した場 […]
新しい美術品に出会う瞬間には、ある種の闘いがある。相手は他の商人かもしれないし、時間そのものかもしれない。この手で掴み取るという意志の緊張。その一点を勝ち取るために研ぎ澄まされた感覚。それはまるで、静かに刀を抜くような心
アンディ・ウォーホルが「誰もが15分間は有名になれる」と言ったのは、メディアが人間の価値を拡散する時代の到来を示す言葉だった。その予言は的中し、SNSの中で誰もが発信者になった。 だが、ここから先は別の段階に入っている。
ウォーホルの向こう側──誰もがアーティストとして生きる時代 続きを読む »
1. 外連味の力 外連味(けれんみ)とは、虚飾や派手な見せ方、作為的な演出のことだ。芸術の世界では、外連味は人を惹きつける力を持ちながら、同時に作品を堕落させる毒でもある。名品たちはそれを超える「無垢なる核心」を宿してい
1. 病と欲のあわい 風邪をひくと味覚は鈍り、酒は途端に不味くなる。だから本来なら薬を飲んで早く治せばいいのだろう。だが、私は薬を口にしない。理由は単純だ。薬を飲めば、その夜の一献が閉ざされてしまうからである。「飲めるか
かつて、全国の美術館やギャラリーを巡った。しかし、いつからか、目に止まる作品しか見なくなった。展示空間に漂うあの清潔で無菌的な空気。白い箱は、美の棺だ。 絵画も彫刻も、勉強として見ることはできる。けれど、そこに“実感”は
「古雅」という言葉がある。私は、美とは、この一語に尽きるのではないかと感じている。 ――雅でなければならない。 どれほど“ひょうげた”ものであっても、そこに雅が宿っていれば、それでよい。それは、個の品格に他ならない。 孤
美について語るとき、必ず金額の話になる。だがそれを忌避しているうちは、美についての対話には立ち会えない。 「自分の手の届く範囲で」などと口にした時点で、美はその土俵から消える。無理をしてでも欲しい。それでも手に入れたい。
結局、美そのものにしか答えはない。それを内包した「モノ」、そしてそれを見抜く「目」。美とは、モノと目の関係性に宿る。 「美の懐」とは、モノの問題ではない。それを見る目がどれだけ養われているかの問題だ。どれだけの時間を美に
美の「価格」は、欲する者の数で決まる。希少性、流行、話題性──いずれも美を貨幣価値に変える要素だ。だが、それはあくまで表層の評価でしかない。 本当の美には、その価値を受け入れる「懐(ふところ)」がある。懐が浅ければ、どん