穀潰しの美学

芸術とは、余裕の中でしか生まれない。
食うために働く時間ではなく、感じるために費やす時間。
その“無駄”の中にしか、人間の輪郭は見えてこない。

だから、芸術は穀潰しだ。
社会の効率とは逆を行き、
生産性という神話からはみ出した場所で息をしている。
誰も求めていない時間、
金にもならない思索、
形にならない感情。
そこからしか、美は立ち上がらない。

無機質な労働の中では、感動は失われていく。
朝陽さえも、ただの出勤前の光になってしまう。
けれど、ほんの少しの余裕があれば、
その光に再び心が震える瞬間がある。
あの一筋の光こそが、芸術の根だ。

芸術家は、飢えの隣で贅沢をする者だ。
働く者が糧を得るように、
芸術家は“無駄”を得る。
無駄とは、命の余白であり、
その余白の中でしか、魂は呼吸できない。

だから私は、穀潰しであることを恥じない。
効率の外に立ち、
世界の呼吸を感じるために生きている。
穀潰しとは、
生きることを忘れない者の名だ。

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