アンディ・ウォーホルが「誰もが15分間は有名になれる」と言ったのは、
メディアが人間の価値を拡散する時代の到来を示す言葉だった。
その予言は的中し、SNSの中で誰もが発信者になった。
だが、ここから先は別の段階に入っている。
名声ではなく、**“表現を通して生き延びる”**というフェーズだ。
つまり「誰もがアーティストとして食べていける可能性のある社会」。
それは、特権や所属を前提としない。
美術館に所蔵されること、
コマーシャルギャラリーに所属することが
作家としての唯一の承認ではなくなる。
一人ひとりが自分の美意識と、
生き方の筋を持ち、
それを他者と分かち合える時代。
古美術KIMIJIMAは、
その転換点の中に立っている。
かつての日本の美は、
名もなき職人や修験者、農民の手から生まれた。
彼らは「作品を残そう」とはしていない。
ただ、生きる行為そのものが造形だった。
私が主催するらん°武. もまた、
身体を鍛え、心を鎮め、
その瞬間に生まれる動きを作品のように扱う。
そこには、芸術と生活の境目がない。
これからのアーティストは、
作品を“作る人”ではなく、
**世界と呼吸を合わせて“生きる人”**になるだろう。
表現は誰の中にもあり、
その静けさや痛みや喜びを分け合える時代が来ている。
ウォーホルが見た「15分の名声」は、
もうとっくに過ぎた。
今ここにあるのは、
**“一生を通して美しく生きる自由”**だ。
生きることが、すでに表現である。
その証明として、私は物を見つめ、身体を動かし、
そして静けさを編集する。
